August 28, 2021

新型コロナの渦中に、南の島に行く。

 


南太平洋の島ですよ。そう言われたのは2020年のたしか2月頃でした。そして本決まりになったのが4月。

アフリカから帰国してから既に7年が経過し、そろそろまた海外で仕事をする話になることは想定済み、母の病状が思わしくないのでできれば近い国がいいなと思っていたので、南洋の島国を持ちかけられた時にもそこまでの驚きはなく。

しかし新型コロナの感染が世界的に広がり始め、前の年の11月や年明け2月に予定していた海外出張がキャンセルになっていて、そんな時期に南の島になんか赴任できないよな。

案の定、太平洋の島国はどこも我先にと外からの人の入国受け入れを厳格化し始めました。島という孤立した環境では一度ウィルスが入ってきてしまうと手に負えない、十分な医療体制もないので仕方ない。とりあえず国境を閉じるしかない。

・・・それから1年半近く経ちました。島の人々の感染症に対する過剰なまでの恐怖心も相まって事実上の鎖国が続き、感染者ゼロを記録してはいましたが、海外に取り残されて帰国を希望する自国民にさえ入国を認めないなんていうことをいつまでも続けるわけにもいかず、極端に厳格で神経質な検疫管理措置と引き換えに、少しづつ少しづつ、外からの人を受け入れ始めています。

1年半の間に母が他界し、四十九日が過ぎ、初盆まで迎えました。母が最期に僕にかけた言葉は「いつ行くとね?」でしたよ。

母よ、その答えは2021年8月でした。あなたの初盆の法会の後、すぐ。

検疫だの隔離だの消毒だの、成田を出発して2週間が経ってもまだ最終目的地に着いていないけど、どこにいても海を感じられる小さな町で、自分史上4か国目の海外勤務が始まろうとしています。



March 20, 2021

冒険する人、慎重な人。

 リスクの認識には本能的に個人差があって、それは動物としてのヒトの生き残りに意味があったのだと思う。神経質で怖がりなタイプは生活の維持や子育てに有利だったはずだし、冒険的で怖いのも知らずなタイプは生活圏の拡大や新しい食料の獲得に貢献したはず。だから今でも、冒険的なタイプから慎重なタイプまで、人のリスクの認識には幅があるんだろうね。

 しかし動物としてのヒトは大きく進歩して、知能を駆使し自然を分析し理解する種となり、かなりのところまで科学的、定量的にリスクを評価できるようになりました。社会全体として、人類として、より有利なリスクの取り方ができるようになったはずです。

 そうすると、科学的、合理的なリスクの取り方が、個々人の直感に反することも出てくる。合理的に考えれば安全なんだけど安心できない、みたいなね。

 みんなの利益、よりよい社会のためには直感に反することでも乗り越えていく必要があるでしょう。いつまでも「お気持ち」優先ではいけないし、そこにリスクコミュニケーションが期待され、マスコミの役割が重要になるはずなんだけどな。

 とはいえ、マスコミもボランティアじゃ維持できないし、収益を考えなくちゃならない。収益考えたら娯楽、お気持ち大事だし、難しいね。

March 14, 2021

2011年3月11日、僕は在留邦人でした。


 あの日僕は南アからロンドンに移動していて、ヨハネスバークの空港のテレビで津波のニュースを見た見ず知らずの人たちから「お前は日本人か?大丈夫か?」とたくさん声をかけられた。

 ロンドンのホテルで受付のお兄さんが、普段は有料のインターネット接続を無料にしてくれて「これで日本のニュースを見れるよ」と。

 ロンドンの事務所での用務を済ませて、あとはホテルの部屋でネットばかり見てた。「がんばれ、日本。がんばれ、東北。」と日本語で書かれた英字紙が届けられた。

 素直にその気持ちがありがたかった。

 僕の親戚縁者は九州に集中してる。当時の同僚の日本人もなぜか西日本出身者ばかりで、生命財産に直接被害を受けた人が周りにおらず、当事者感覚が薄いと言われればそうかもしれない。

 それでも、何もできず、何もする気にならず、ただただ気を揉んでいる間に時間は過ぎていった。

 2011年3月11日、僕はTwitterで一言だけツイート投稿している。

 「祈るしかない。」

March 07, 2021

10回目の3月11日を前に。


 はっきりした四季の移り変わりで時の流れを五感で覚える。

花が咲き、花が散るのを見て、何事もとどまることなく移りゆくことを知る。

時には大雨、大風、そして地震、また火山の噴火に襲われ、変わらないと思っていたものも果敢なく失われることを思い知らされる。

形あるものはいつかは壊れることが前提。永遠の時に耐える建物ではなく、木と紙の家を建てた人々。

それなりの月日が経つと社ごと建て替えてしまうことをしきたりとして、式年遷宮を行うお宮は伊勢神宮だけではない。天皇の代替わりという国の一大儀式であるはずの大嘗祭をその時のためだけに建てたお社で執り行い、式が終わると解体してしまう。

(そんな国に、世界でもっとも古い木造建築が現存し、百年どころか数百年、中には千年の歴史を誇る会社組織が多数存在しているのが逆説的でおもしろいのだけど。)

むしろはかなさを内に取り込み、時々に万物の営みを愛で、嘆き、喜びも悲しみもただそのままに受け止める。その心持ちこそ「もののあはれ」なのかなと。

そして僕たちは、明日も生きていく。

*   *   *

東日本大震災10年の節目。

February 23, 2021

色褪せた暮らし。


 


 優に1年を超えました。新型コロナ感染症が騒ぎになってから。

 誰かが「色褪せた暮らし」と表現していて、まさにそうだなと。

 仕事にも私生活にも大きな変化を強いられ、中には大変な苦境に陥る人もあり、経済もガタガタ。しかし大方の人はぶつくさ言いながらも生き延び、なんとか暮らしを守ってる。「不要不急」と言われたものが生活の中から消え、人との出会いが減り、会話が減り、雑談が減った。なにしろ今の日本は単身世帯が35%を占めていて、家族以外と会うなと言われたら一人になっちゃう人が少なくない。それでもみんな生きている。食べて、人とあまり会わずに仕事して、寝る。

 綾波レイかよ。

 戦争や大震災の時みたいに暮らしが破綻したわけではない。その気になればオンラインであれば人と話はできる。暮らしは回っている。なんなら株価は30年来の最高値。

 それでも、だ。色が、彩(いろどり)がすっかり失せてしまった。味気ない日々。

*   *   *

 生物種としてのヒトが人になったのは、死を認識するようになってからだという説がある。動物は死を認識しない。今を生きているだけ、眼前にある環境に最適な反応をしているだけの有機的なシステムで、システムが劣化、老化して動作が止まってしまえばそこまで。ところが人は、生体活動が停止して生物が物体に変わるのを見て、そこにあった意識や人格、知恵や経験、その人の存在が失われてしまうことまでも意識する。


 先史時代の墓所の遺跡を分析すると、人骨とともに花粉の痕跡が検出されることがある。死を認識した人が、亡くなった家族に、同胞に、花を手向けた証拠だという。

 色だ。花の色。

 言ってみれば、花を手向けることも「不要不急」。花を供えたからといってお腹いっぱいになるわけでないし、敵から逃れられるわけでもない。でも、人は色を添える。

 人は不要不急のことで人たりえている。人は色を愛でるから人だ。

「色褪せた暮らし」が終わるのが待ち遠しいね。